全力で美容&デトックスを遂行するひとり会

毎日の生活と、40歳を過ぎて今後の快適な体づくりを記録するブログ

あのとき、ピアノを諦めてなかっ、た、ら。

今週のお題「私のタラレバ」

 

ピアノを始めたのは、遅い方だった思う。

 

5歳3歳からのスタートではなかった。姉が弾いていたから。私だけが幼稚園で猫ふんじゃったを弾けないから。そんな理由でピアノやりたいなぁ。と思ったみたい。

 

小学校1年から習い始めて、のめり込んだ。

 

ハノンを1日、3〜5時間くらいは余裕でやれる。ひたすら反復。指が転ばないようひたすら。小指と薬指が独立して動いてくれないから本当にただひたすら練習した。

 

ピアノの、不協和音が好きだった。どこか、不穏な空気がする、あの音。

 

 

狂ったように弾いていたので、姉が大学受験にさしかかるころ、うるさいから弾くのをやめろ、と言われた。

当時小4だった私の頭には円形脱毛症ができた。

 

学校の先生が音楽室や視聴覚室を貸してくれ、ピアノを弾くことができたけど、調律が狂ってるのが気持ち悪かった。親切で貸してくれてるのに。毎日が歪んでいるような気がした。

 

とはいえ、なんかコンクールに出てみたり、世には上手い子がたくさんいるなぁー。を知って、自分の力の無さを思い知ったり。ピアノがきっかけでいろんなことを経験できた。弾いていると無心でいられた。

 

小6になって、ピアノの先生に音大を受験しろと言われた。指の水かきを手術で切って、グランドピアノと防音室を準備しなければ。とも。平凡な家庭でそんなこと、無理だった。

 

先生に、音大、無理です、と言った日、レッスンからの帰り道、なんだか涙が止まらなくて、自転車でぐるぐると夜の公園を走り続けた。疲れて、涙も止まって、家に帰った。それで、きっぱりピアノやめよう、と思った。少し生活は荒れたけど、ピアノのない生活は、それはそれで楽しかった。

 

いま、私はその日暮らしに近い生き方をしてる。親でもない。もし自分に子どもがいて、やりたいことがあって、経済的にそれが叶わないとしたら。。

 

いま、あのときの親の気持ちを想像することができるし、子どもだったからとはいえ、なにも知らなくてごめん、と思う。私は身の丈を知らない子どもだった、なんて要求をしたんだろう。

 

けど。あのとき、ピアノを辞めずにいたら、私はどうなっていたのかな。とは思う。久しぶりに鍵盤に向かうと、まったく弾けなくなったことが悲しくて惨めだから、もう弾かないけど。辞めてなければ。続けていたら。って話。