私の人生は、ずっと“愛する側”だった。
いつも全力で愛してきた。その人がどうしたらいいのか、その人になった気で考えてきた。いつも、本当によりそってきた、つもり。独りよがりの愛。
私は、自分が愛されたことがない。たぶん。いつも“愛する”側。
後悔はしてないけど、いつも「与える」が先行してしまって、気づくとそれが当たり前になって、自分の首を締めていく。という悪循環に。
私の膝に手を乗せて泣いていたけど、その手、私がほしいときに差し出してくれていたら、地獄に落ちようとどんなに貧乏暮らしになろうと、あなたと一緒にいることをわたしは選んだと思う。
でも、ちょっと遅かったね。すごく欲していたときに、あなたは私を邪険に扱っていたんだ。残念。添えてほしかった手は、もう2度と、友だちとしても会わないと決意するまで差し出されなかった。
誤算なのは、私も想像以上にあなたのことを好きだったっていうことだ。断腸の思い。執着を手放すべきだったのは、私のほう。私こそ、この執着を手放す、べきだったん、だ。
前の結婚も、そのあとの彼氏も、恋も、家族との関係も友人関係も、昔はいつも、“愛する側”だった。最近ようやく、ちょっと変わってきた気がする。
もう後悔しない、っていえる。与える喜びも、与えられる喜びも、知っていきたいと、ちょっと思えるから。ただなんとなく、じゃなくて精神からヨガを学び直してるのもいい方向に働いているのかなぁー。
たった、手を添えるだけのことで、一生のパートナーになる可能性もあれば、つながなかった手が、7年の付き合いを決定的に壊すこともある。
ここんとこ事件が起こりすぎてアワアワだけど、乗り越えようと思う。思う。。